いきなり妄想 ベルセルク⑤ 海神編とクトゥルフ神話
クトゥルフ神話との出会い
15年ほど前にやっていたメタルバンドでツインギターの相方がクトゥルフ神話好きでよく語ってました
個人的に日本の神話だとか新旧聖書だとかは好きで読んでたりしてたのですが、クトゥルフ神話というのをきくのはそれが初めてで
わりと最近作られた神話のようで「宇宙的恐怖(コズミックホラー)」と形容される、わりと体系化された神話(小説群?)です
当時薦められていくつか読んでみたのですが、あまりピンとこない…(読み物としては面白かったんですけどね)
どうもアメリカンホラーはいまひとつ理解できない私
あ、沈黙の羊たちシリーズは好きです(笑)
クトゥルフのなかでは「異次元の色彩」「インスマスの影」などは面白かったです
怖さの根底に「神への冒涜」というのがあるみたいで(ネットのレビューなど参照)、それがいまいちピンとこない理由なのかなとおもったり(私にセンスが無いだけの可能性が高いけど・笑)
「異次元の色彩」は日本的な不気味な、後味の悪い怖さがあって全くもって意味不明というわけではないので、興味のあるかたは一読されてみてもよいと思います
裾野は広く、現代の作品に色々なところで影響を与えているのもわかります
神への冒涜ってどんな感じ?
一神教において、神というのはやはり不可侵で絶対的な存在なんでしょうか?
たぶんこれは私には一生わからないんだろうなあ
その絶対的な存在、信じているものが根底から覆される…
ある日、立っている地面がなくなるような…
うーん、わからん
強いて言えば、資本主義の価値観が崩れるのが近いのだろうか
ある日突然貨幣価値がなくなり、ケツを拭く紙にもならなくなったら…
モヒカン肩パットの屈強なおとこたちがバギーに乗って襲って来る世の中になったら…
私は子供たちの食料を確保し、そいつらから守ってあげられるだろうか
うーん、恐ろしい!(笑)
そういえばあの男たちって何処から湧いたんだ?
核の炎に世界が包まれる前はどんな生活をしていたのだろう
話が大分それました
これに対する恐怖ってのは、ベルセルクという作品のなかに出てくる民衆、というかファルネーゼがアルビオンで遭遇した怪異に対して感じている恐怖に近いんだろうな…私がベルセルクを読んで感じる怖さとはまた違ったものなんだろうなあと
三浦先生が表現したい恐怖ってのを正確に感じきれていないんだろうなあ、と読み直しながら思った次第です
クトゥルフ神話と海神編
前置きが長くなってしまいました
最近ベルセルクを読み直しつつ、クトゥルフ神話も読み直したりしていまして
リアルタイムでアニマルの海神編を読んでるときには全然気づいてなかったんですが、この海神編がクトゥルフ神話の「インスマスの影」をベースに書かれてたんだな~、と今更ながらに気づきました
ここで出てくるヒトと人魚のハーフ、イスマも名前からしてこれをもじってるやん(笑)
自ら興味をもったわけでなく、薦められて何となくでしか読んでなかったからたいして記憶になかったんだろうな~
ベルセルクに限らずファンタジー物はクトゥルフとか北欧神話とかギリシャ神話とか影響を受けまくっているだろうから、これを機に色々読み漁ってみるのも良いかもしれないな
ベルセルクの良いところは、こういう元ネタ(?)を表面的に取り入れただけのペラさがなく、しっかり物語の世界観に組み込んで奥行き、深さの表現をだしているところにもあると思います
海神編ってなんだったのか
三浦先生の描くベルセルクの物語の各章には何らかの意図があって、最後には全ての話が繋がって行くんだろうな~というのを勝手に感じています
以前感想を書いたロスト・チルドレンの章や生誕祭の章ではジルやファルネーゼ、ルカの目を通した物語の結末を感じさせる内容になっていたと思っています
それと同じようにその後の章もそれぞれ何らかの意図があって描かれていて、そこには無駄な話など一切ないはず…と勝手に考えています(笑)
連載ペースも相まってやや冗長にも感じられるという感想の多い(失礼)海神編はいったいどんな意図があったのかな~と、気になっていました
タイトルとしては 「幻想世界(ファンタジア)篇・妖精島の章」 となっていますから、大幽界嘯によって現世と幽界が繋がり太古の混沌が戻ってきてしまった…現世の人間にとってもこの混沌が当たり前になってしまったことを描くためのワンシーンであったと思います
- 船の上で大幽界嘯がおこる
- 怪異が当たり前になってしまったことをシーホース号の海兵を通して描く
- ロデリックとシーホース号の活躍も描かなきゃ(髭骸骨一家がちょっとくどかったか笑)
- ファルネーゼの魔術師デビュー
- 「インスマスの影」になぞらえつつ古代神・海神の復活と撃退を描く
- イスマの登場と人魚の出現(今後人魚が物語にどう影響するのだろうか)
- 月下の少年の正体と目的は?
…と、まあこうやって書き出すとわりと色々詰め込まれています
大幽界嘯は篇のメインである出来事なので当たり前に描かれるとして
人魚と月下の少年については今後どう物語に絡んでくるのかってのはありますが、(ガッツのターンでもグリフィスのターンでもない)シーホース号と髭骸骨あたりが冗長に感じる原因になっているのかも知れないですね
海神についてもこのエピソードいる?ってところもありますが、むしろこの、海神をぶった斬る、というのが必要でこれに上記の肉付けがあったのかなあと
そう思う理由は次の二点
- 魔術師と精霊(ここでは人魚)の力を借りることで神格の敵に対抗できた
- 大幽界嘯がおこったことにより現世に現れた神格の敵を(トロールの巣でのスランの時のように霊的にでなく)物理的にぶった斬ったこと
これを描きたかったのではないかと無理やり考えてみました
このあとグリフィスにリッケルトビンタが炸裂しますが、これと合わせてドラゴンころしの切っ先がグリフィスに届くということの示唆なのかも…無理やりすぎるかな(笑)
実際は妖精島の章の中の話なので、島につく前のひとつの山程度の可能性もありますが
追記:海神の心臓と深淵の神のデザインが似ているのには何かあるんでしょうか…
おまけ
この旅路のまえの、ヴリタニスで船を手に入れる一連の話のなかで
ファルネーゼがヴァンディミオン家に戻り母と会話するシーン
夫とファルネーゼを評価した台詞…もしかするとこれはグリフィスとガッツの事ともとれるのではないかな…
これとその後、ファルネーゼが自分の居場所を再確認したシーン
鷹の団を飛び出し、後に居場所をなくしたことに気付き後悔したことと、もう喪失わないと決意したガッツの心情をファルネーゼに重ねて表現しているのかな…
読み直して、ふと思いました