ほぼ本州の最果てで

本州の最果てに暮らすおじさんの生態 ド田舎でも探せばきっとなにかある…のか?

いきなり妄想 ベルセルク② 断罪編 ロスト・チルドレンの章

妄想が妄想を呼びます

 

コミックスでは14巻~16巻のエピソード

この作品を伝説たらしめた「蝕」から2年後

ガッツが「黒い剣士」としてどのような運命を歩んでいくのか…

ある意味ベルセルクは新たなスタートをきり、その最初を飾るエピソードだと思います

 

 

 

(伝説たらしめているのは、第83話がコミックス未掲載なのもあるかもしれません笑)

 

この章が物語のテーマを簡潔に示している

…気がする

妄想ですから(笑)

 

この章自体ひとつのストーリーとして完成度も高くそれだけで楽しめますし、聖鉄鎖騎士団の登場(黙示録)やピーカフのおとぎ話など物語を紐解く鍵になりそうなものも出てきます

 

話は進み、現在40巻まで発売されている本作品、魔法使いや大幽界嘯、幻想世界の出現など風呂敷が広がり過ぎてどこに着地するんだろう…という感じですが

物語の終着点はこのストーリーに沿った形で完結するのではないかな~と感じました

 

すなわち…

負の感情?混沌?(深淵の神-ゴッドハンド)により出現した霧の谷(ファンタジア)にジル(人類)は迷い混んでしまう。

最初は居心地よく感じこの世界にとどまりたいと思うが、ある時を境にこの世界は楽園でないことに気づく

ロシーヌ(グリフィス)の正体に気づき、穏やかな日常(秩序だった世界)を渇望したときガッツ(救世主(≒ガッツ)-四方の守護天使≒神?)がロシーヌ(グリフィス)を倒してしまう(…この辺は少し流れが違いますが)

ジル(人類)はここではないどこか(秩序だった世界)をガッツ(神?-四方の守護天使)に望むが、「何かにすがっていては何も変わらない。俺の回りの暗がりに目を凝らせ」(「神-四方の守護天使と深淵の神-ゴッドハンドは表裏一体である」)…

ジル(人類)が自立する道を選んだとき、ガッツは悪霊をひきつれ何処かへ消えてしまう。ジルは澄んだ青空を眺め、自分の戦いを始めることを決意する…大幽界嘯は解け、現世は幽界から切り離される。人類全体の意思が自立を選んだことにより深淵の神は消滅、四方の守護天使はまた人類を見守る

また、人類もこの事を忘れないよう四方の守護天使(-神)を祀るようになる…

 

 

 

それから時が経ち、神への信仰が薄まり争いが絶えなくなるとき…

また1人目のゴッドハンドが降臨する

そして5人目が降臨し…

 

(ループ)

 

的な流れなのかな~と、読み返してみて思いました

 

 

 

この作品の二面性とは

 

妄想が過ぎました(笑)

前回の妄想で

この作品の結末を紐解くには

・円環か螺旋か

・物事の二面性

を考えると良いのではないか、と書きました

前回は円環か螺旋かで妄想し、今回は二面性に着目して妄想した次第です(笑)

 

魔と人(神)、闇の鷹と光の鷹、黒と白…などでしょうか

 

最初は対照的な別物…と捉えていたのですが、どうやらそうではないらしい

二面性という言葉通り、ひとつの物の中にふたつの面がある…ということではないかと

そのふたつの面をさらにふたつの物に対照性を持たせて描かれている

(もしくは、ふたつでひとつのものとして描かれている?髑髏の騎士が言う貴様とその半身…ガッツとグリフィスの関係や、セルピコファルネーゼのようなお互いがお互いに合わせて歪んだ一本の木のような関係、ロスト・チルドレンのようなふたつでひとつではないけれども、似たような境遇のふたりの関係など)ので、こう妄想が捗るのかな~と

 

例えば白と黒

白と言えばグリフィス、黒と言えばガッツ

白鳳将軍に黒い剣士

民衆が光の鷹の夢を見たとき、誰もがグリフィスを思い浮かべたであろう

闇の鷹の黙示録を知っているものがガッツの姿を見れば、誰もがガッツを闇の鷹と思うであろう

しかし、フェムトはどう見ても闇の鷹

民衆がグリフィス=フェムト=闇の鷹と知ってしまったとき、では救世主である光の鷹は何処に…

おそらく闇の鷹と思われていたガッツが(白い)光の鷹と認識されるときが来るだろうと想像します

(今はちょびっと白い剣士…と茶化されてますね。これが伏線なのか、ただのギャグなのか)

 

そう考えた時、実は対照的に描かれているものはもともとひとつのものであると意識して読むようになりました

 

人間と使徒…これはもともと同じものであったわけで

これを拡大して解釈すれば、深淵の神が人類の集合意識の負の思念の集合体であるのならば、おそらく「神」といわれる正の思念の集合体が存在し、それらは人類の集合意識の揺らぎでどちらにも傾く同じひとつのものなのではないでしょうか

 

そして深淵の神の意思の執行者として描かれているゴッドハンドは、正の思念の集合体である神の意思の執行者ともなりうるのでは…

 

 

グリフィスがフェムトという正体を民衆に現したとき、その絶望から民衆が秩序を望む…

人類の集合意識が負から正へ傾いた時、光の鷹が現れるとともに4人のゴッドハンドが守護天使としてフェムトを滅ぼす…

 

同じようなことが1000年前にも起こった

 

 

というのはいきすぎでしょうか?(笑)

 

 

特に検証しながら書いているわけではないので強引な解釈もありますが、つい妄想が膨らんでしまいました

三浦建太郎氏は何かのメッセージを持って各エピソードを描かれていると思うので、次の話が来るまでについつい色々考えたくなってしまいます

そういう意味では、海神編はいったいどういう意図があって描かれたのかが気になります(笑)

 

以上妄想第二弾でした

 

 

 

 

kindle unlimited でベルセルク1~4巻が読み放題配信中‼